【経歴】植田和男の高校は筑駒から東大!超エリートの天才エピソード5選!
植田和男氏が日銀次期総裁に起用されましたね!
黒田東彦氏の任期は2023年4月8日までとなり、その後は植田和男氏へとバトンタッチ。
日本経済に大きく関わる『新日銀総裁』に注目が集まります。
そこで、植田和男氏の経歴やプロフィール、どんな人なのか?学生時代の天才エピソードなどを徹底調査しています。
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植田和男の経歴・職歴を総まとめ!
2023年3月10日の本会議で、日銀の総裁人事が賛成多数で可決。国会の承認手続きが終わり『次期総裁に植田和男氏が任命』されました。
日本の中央銀行である『日銀の次期トップ』は、一体どんな人物が務めるのか気になりますよね。
まずは、植田和男氏とはどんな人なのか?調べていきたいと思います。
植田和男はどんなひと?
日銀総裁はこれまで『日銀出身者』と『財務省出身者』が交代で就任するのが慣例でした。
そんな中、戦後はじめての『学者出身』総裁となるのが植田和男氏です。
日銀と財務省(旧大蔵省)出身者以外が総裁に就くのは、1969年まで務めた第21代の宇佐美洵氏(旧三菱銀行出身)以来のこと。
植田和男氏の専門はマクロ経済学、金融論。
その分野では日本を代表する経済学者で、1998年から7年間『日銀の審議委員』も務めていました。
PR日銀が短期の金利を事実上ゼロにする、ゼロ金利政策を導入した際に『金利の低下を実現するためにアイデアを出したのが植田氏』だと言われています。
また2000年8月の金融政策決定会合で、デフレ懸念は払しょくされたと『ゼロ金利政策を解除する提案』については、時期尚早だと反対。
その一方で、政府側の決議延期の申し入れについても反対票を投じています。
自らの主張を貫きつつ『日銀の政府からの独立性も守る』という、しがらみに囚われない人物像がうかがえますね。
植田和男の職歴もスゴい!
2023年で72歳になる植田氏ですが、若々しいですね。
静岡県牧之原市で生まれ。父親が電電公社で働くことになり東京で育ったようです。
植田氏は大学教授として学生に経済学を教える一方で『重要な役職』も数多く務めています。
【教職】
1980年:カナダ・ブリティッシュコロンビア大学
経済学部助教授
1982年:大阪大学経済学部助教授
1989年:東京大学経済学部助教授
1993年:大学経済学部教授
2005年〜2007年9月:東京大学大学院経済学研究科長
2017年:東京大学名誉教授
2017年:共立女子大学教授
2020年:共立女子大学ビジネス学部ビジネス学科教授
助教授や教授としての職歴は、40年以上!!
【おもな学外における役職】
1985〜1987年:
大蔵省金融研究所主任研究官
1998〜2005年:
日本銀行政策委員会審議委員
2005年:サントリー学芸賞政治・経済部門選考委員
2008年:日本政策投資銀行社外取締役
2011年4月〜2021年6月:
日本経済学会会長
2019年〜2023年3月31日:
日揮ホールディングス株式会社社外取締役
経済界において、かなりのスペシャリストと言っても過言ではないでしょう!
植田和男の学歴は超エリート!
華々しい活躍をしてきた植田和男氏ですが、学歴もかなり優秀でした。
植田和男氏の、出身高校からみていきましょう。
植田和男の出身高校
植田氏の出身高校は、東京教育大学付属駒場高等学校です。
1978年に筑波大学付属駒場高等学校に名称が変わっていますが、植田氏が卒業したのは1970年のこと。
植田氏が入学した当時、同校は『最も東大に近い高校』と言われていました。
ちなみに2023年の同校の偏差値は、なんと『78』。東京都で1番の偏差値を誇る高校として有名ですね。
実は、前任の日銀総裁『黒田東彦(はるひこ)氏』も同校出身!
2代続けての日銀総裁輩出とは、さすがの筑駒。
出身中学については不明ですが、同校が中高一貫校ため、中学から通っていた可能性も高そうです。
植田和男の出身大学
出身大学は『東京大学』理科1類です。入学が1970年なので、現役合格なのでしょう。
4年間理学部で学んだ後、1974年になんと『学士入学で同大学の経済学部』へ入学。学ぶ意欲が凄すぎます。
さらに意欲が止まらない植田氏は、1975年に『東京大学大学院経済学研究科』へ進学をします。
さらに翌年の1976年には留学し、マサチューセッツ工科大学大学院へ進学を果たし、1989年に同校の博士課程を修了しています。
世界の大学ランキングで『毎年上位TOP5に入る』ですので、これ以上ない学歴の持ち主ともいえそうですね。
ちなみに、経済学者の成田悠輔さんは、マサチューセッツ工科大学で博士号を取得しています。
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植田和男の天才エピソード5選!
まさに『天才』といっても過言ではない植田氏。
幼少期からかなりの勉強好きだったようで、学生時代の天才エピソードがずらり。そのうちの5選をご紹介します。
①小学時代から英語を独学
まずは、小学時代のエピソード。
小学生のころ夏休み、静岡に帰省した時際にはトランジスタラジオを持ってきて、それを聞きながら英語の勉強をしていた。
親戚宅までの海岸沿いの道を、英語の本を読みながら数キロも歩いていた。
という、二宮金次郎のような姿で読んでいたのは英語の本。
1951年生まれの植田和男氏が、自発的に『英語を学ぼう』と思ったのは、先々を見ていたからなのでしょうか。
①高校時代の数学能力が異常
天才と言われるひとは『数字』に対するエピソードをお持ちですよね。
高校では、理系科目は圧倒的トップ、特に数学が異常にでき、高校2年時で3年生との合同模試で全体3本の指に入っていた。
高校時代は『数学者』を目指しており、社会や数学が得意で、国語はダメだったといいます。
植田和男氏の場合、頭の良さだけではなく、高校の校内のマラソン大会で1位になったり、1500メートル走も得意だったといいます。
ややバランスの取れた天才なのでしょうか?
②バブル崩壊を予言していた
植田氏は1990年、まだ日本がバブル景気だったころ『バブル崩壊を予言していた』というエピソードをお持ちでした。
日本全体がどこか浮かれている中で「経済状況を分析すると、これはバブルだから長続きしません」と予言していた。
冷静に経済を見極められたのは『データやエビデンスをしっかり分析できる力』があったからなのでしょう。
④分析力を生かし株で儲ける
また分析力に長けていたため、こんな一面も。
90年代、株の空売りでかなりもうけていた。
株取引の中でも、通常買い取りに比べて『損失リスクの大きい空売り』をしていたのは、なかなかのギャンブラーだなと感じますね!
そこで『しっかり儲けを出している』あたりをみると、経済動向をしっかり把握できる自信があったとも言えるでしょう。
PR③酒にも強く遊びが好き
そして『天才』とは少しかけ離れますが、こんな驚きの一面も!!
かなりの酒豪で、泥酔したところを見たことがない。ビールにブランデー、日本酒まで何でも飲める。
どうやら『夜のお店』は昔からお好きで、銀座や六本木のクラブに頻繁に通っていたのだそう。
そういった遊びにも長けているとは、ちょっと意外ではありますが『人間くささ』もあってよかったです!
お酒も強いが経済にも強い。豪快にみえる一面もある、次期日銀総裁の植田和男氏。
景気後退の局面で、どういった策を投じてくるのでしょう。今後の活躍が期待されますね!
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