『めざましテレビ』や『ぽかぽか』などフジの情報番組に引っ張りだこな渡邊渚(わたなべなぎさ)アナウンサー。
2023年7月17日放送の『めざましテレビ』で体調不良を理由に入院となり、しばらくお休みすることが発表されました。
病名は明らかにされていませんがカナリ多忙な印象もあり、大きな病気を心配する声が多数聞こえてきます。
また、渡邊アナは死生観をしっかり持っていて毎年遺書を書いていることも明かしています。
現在の体調が心配ですが遺書との関係はあるのでしょうか?今回は渡邊アナの入院理由や、体調変化について調べています。
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渡邊渚アナの入院理由は何?原因は多忙!
今回入院が発表された渡邊アナですが、入院の理由は明かされていません。

いつも元気で明るくハキハキした印象が強い渡邊アナだけに心配になってしまいますね。
理由も明かされず、しばらくお休みと聞くと『重病なのでは?』と思う方も多そうです。
実は渡邊アナは、6月半ばから体調がすぐれず、度々番組をお休みしていました。長期休暇となった理由は、
度重なる体調不良が続いているので、完全に回復するまで休む。
ということなのでしょう。
体調を崩した原因は、以下2つの積み重ねから来ているのでしょう。
①不規則な生活リズム
現在、以下の番組を担当している渡邊渚アナ。
・月曜、水曜、金曜:朝の番組『めざましテレビ』
・木曜:昼の番組『ぽかぽか』

同業者の方が下記のように語っていました。
5時台の情報番組なら局入りは深夜の2時ごろ。そのためには夕方には寝ないといけません。
木曜日はお昼の生放送もあるので、帯で入るよりもリズムが作りにくく、バランスを崩すこともあるかと思います。
引用元:Yahoo!NEWS
今の仕事スタイルでは、生活のリズムがかなり不規則になってしまっていることは明らか。
交代勤務は、睡眠障害を引き起こすリスクが高い
と言われていて、シフトワークの方の10%〜40%の方が睡眠障害を抱えているとの統計も。
下記のような症状を引き起こすことがあるそうです。

朝番組と昼番組の掛け持ち。不規則すぎて休まらないですね・・・。
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②期待とプレッシャーでストレス
2020年入社の渡邊アナ。親しみやすく柔らかな雰囲気で、『次世代エース』としての評価が高まっている状況です。
ルックスも可愛く、男性受けも抜群ですからね!

少しずつ露出も増え始めた期待のエース。渡邊渚アナは、仕事のための勉強もしっかりするタイプだったようです。
かつてフジの人気アナだった、カトパンこと加藤綾子さんも、めざましテレビの生放送中に気を失い倒れたことがありました。

責任感が高い人ほど無理をしがちですからね
社内では4年ぶりの27時間テレビの放送も、7月22日・23日にあり、その準備も重なっていたはずです。

真面目で手を抜けない性格に加え、不規則な時間で心身が休まることがなかったのでしょう。
ゆっくり休んで回復して欲しいですね!
渡邊渚アナの病名・既往歴を調査!
渡邊アナは6月ごろから本調子ではなかったようです。
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寝不足でクマ?顔色が悪かった
フォロワー20万人の渡邉アナのInstagram、休業前の最後の投稿を見てみると・・・

うーん、目の下のクマがすごく目立っていて、顔色が優れないように見えますね。
疲れていませんか?
痩せましたか?休みをもらってゆっくりしてください
体調悪そう
と、この投稿に渡邊アナを心配する声が、ちらほら寄せられていました。
持病について情報はなかったのですが、少し心配なのが、コロナの後遺症です。
コロナの後遺症があった?
渡邊アナは2022年7月末に、新型コロナウイルスに感染しています。
8月8日にはめざましテレビで復帰されていますが、
『体調が万全になるのに少し時間がかかった』

と、インスタの投稿で明かしています。
現在、感染症レベルは第5類に引き下げられたとはいえ、まだわからないことも多いのは事実。
時間とともに多くの人は回復しますが、一部では後遺症が残ることもわかってきています。
何にせよ、渡邉アナが入院しないといけない状況にあるということは心配ですね・・・。
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渡邊渚が遺書を書いている理由がヤバい?
現在体調がすぐれない渡邊さんですが、実は毎年遺書を書いていることを、インタビューで明かしています。

理由については『自分が後悔しないため』の行動なのだといいます。
遺書を書くきっかけは、何だったのでしょう?
7歳で経験した震災がきっかけ
2004年10月23日に起きた新潟県中越地震。

当時7歳だった渡邊渚さん。お父さんは単身赴任中で東京で暮らしており、お母さん、妹と3人で暮らしていたそうです。
住んでいた地域の被害はそんなになかったものの、母方の祖父母が震源地に在住。
その時、母親が泣きそうな表情でニュースを見ている姿を見て、深刻な状況を理解しました。
『いつ死ぬかわからない、みんなが天寿を全うできるわけではない』
ということを学んだと言います。
お父さんと離れ離れでは、何かあっても助けることができないと悟った渡邊アナ。
家族一緒に生活したい旨を両親に直談判し、新潟を出て皆で東京で暮らすことになったそうです。
そして地震を経験してからは、2つのことを始めたと言います。
・1つは毎日眠る前に必ずお祈りすること。
・遺書をかくこと。
7歳のころから『毎年10月に遺書を書いている』という渡邊アナ。内容は本格的。
・家族に伝えたいこと
・お金に関すること
・自分のお葬式はこんな感じにしてほしい
・SNSの後処理
最近では、レポート用紙10枚くらいになるほど細かく書いているそうです・・・

逆に引き寄せたりしないのかな・・・
今思っていることを『全部伝えることができていないと後悔してしまいそう』なのだとか。
気持ちを伝えることで、残された家族が明るく前向きに過ごせるように書いているという、渡邉アナ。感受性が豊かで、優しい方なのでしょう。
しかし2023年で26歳という若さで遺書の準備とは・・・
最後に、渡邊アナのプロフィールを簡単にご紹介します。
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渡邊渚のプロフィール

【本名】渡邊渚(わたなべなぎさ)
【生年月日】1997年4月13日
【出身】新潟県阿賀野市
【最終学歴】慶應義塾大学経済学部卒
元々は田舎育ちで、庭に鹿やクマが出るくらい自然豊かな環境で育った渡邊渚さん。
地震がきっかけで、愛知県名古屋市や神奈川県横浜市で育つことになりました。
慶応義塾女子高等学校の2年生のとき、ビジネスコンテスト『キャリア甲子園』に出場したり、ミスセブンティーン(2014)に応募し『ファイナリスト』に入るなど活動的だったようですね。

もし、地震が起こらなければまた違った人生を送っていたであろう渡邉アナ。
正義感が強く、仕事に穴をあけてしまうことに責任を感じてしまいそうで、少し心配ではありますが。
焦らずまた元気な姿を見せてくれることを楽しみにしています。