成田悠輔の経歴|生い立ちがヤバい!父親失踪やギフテッド説の事例も!
成田悠輔(なりた ゆうすけ)さんは、世界ランク9位(’23年)のイェール大学の助教授であり、研究者、経済学者。
元々は教育政策の研究をされていて、YouTubeや多くのメディアから発言を求められきました。
東大首席で『天才』と言われつつも、露悪的な発言で炎上することも。一体どんな人生を歩んできたのか気になりますね。
成田悠輔さんの経歴、生い立ち、父親失踪の壮絶な過去などを調べてみました。
成田悠輔の経歴まとめ
まずは、成田悠輔さんの経歴についてみてみましょう。
成田悠輔の学歴・経歴
生年月日:1985年
出身:東京都北区
学歴はこちら▼
- 麻布中学校
- 麻布高等学校
- 東京大学経済学部(首席)
- 東京大学大学院経済学研究科
- マサチューセッツ工科大学(MIT)で博士号(Ph.D)取得
子どもの頃は、睡眠障害で『まともな学校教育は、ほぼ受けていない』という成田悠輔さん。
- 毎朝同じ時間に起きられない
- 通学路の途中に道で寝ちゃう
- 学校の校庭で寝転がって空を眺める
- 山手線に乗って5周していた
みたいな子ども時代で、授業には殆ど出てないようです。
多動的で、人付き合いが苦手なタイプ。名門といわれる麻布中学校時代も『不登校児』でした。
とは言え『参考書』を使って勉強が出来てしまう頭脳。。。要領が良いというレベルではなく、天才的なのです。
高校卒業後は、予備校でアルバイト(非常勤講師)をしながら1浪し東大へ。
東大を首席で卒業していますが、東大経済学部の最優秀卒業論文に数年に1度授与される『大内兵衛賞』を受賞しています。
東京に飽きて、23歳でアメリカへ。
イエール大学で助教授となったのは、30歳のときでした。
成田兄弟の現在
現在の成田悠輔さんと言えば、左右非対称のメガネ!ですよね。
演出ではなく、これしか持ってないのだそうw
眼鏡が壊れたのでお店に行き『新しいアイディアが降ってくる眼鏡が欲しい』と言ったら、ニヤニヤしながら店員さんが持ってきたのがコレ。
眼鏡は、XIT eyewer というフランス(マルセイユ)のブランドでした。
子供のころから『知的なイタズラ』で人を挑発することもあった成田悠輔さん。意外と遊び心いっぱいな人なのかも。
成田悠輔さんの4歳下の弟は、有名起業家の成田修造さん(元クラウドワークスの取締役兼CINO)です。
2023年1月に、AIコピーライティングツール『Catchy』の運営会社「株式会社デジタルレシピ」にアドバイザーとして就任されました。
兄弟揃って面白く『頭脳明晰』なのは、やはり両親からのDNAなのでしょうか?
成田悠輔の生い立ちがヤバい!
しかし意外にも『カオスな子ども時代』を過ごしていた成田悠輔さん。
成田悠輔の父親について
成田悠輔の父親は、あんまり働いていないのに、遊び回って借金を作ってくるような人でした。
『女性、お酒、ギャンブル』などに溺れつつ、哲学者のような一面も。不思議な魅力があったのか、母親は惚れていたのだとか。
父親も頭はよく『麻布中・高』を出ていて、大学は早稲田だったようですが行っていたかは不明。
弟の修造さんが産まれてから、少し仕事をしていたようですが『社会の中でまともに生きたくない』という風来坊だったのでしょう。
成田悠輔の母親について
母親は『ジュエリーの会社』でフルタイム勤務。母親だけが働いていたので、家計は苦しかったようです。
麻布中学校に入ったのは、母親は『長いものに巻かれろ』という考えがあり、進学校が好きだったから。
お金を絞り出してでも行かせる、母親の信念ですね。
一人暮らしの用の部屋に、4人で住んでいた成田家。
狭い空間で『夜中に母親が怒鳴りまくる、泣き叫ぶ』のを、悠輔さんは1メートル横で聞いていたそうです。
カオスですね・・・!!!
悠輔さんは『なんでこんな生活を送っているだろう』と思ったようですが、弟の修造さんは、あまり悲観したことがなかったとコメント。
家庭崩壊と父親失踪
成田悠輔さんが高校3年生の冬、とうとう父親が蒸発します。
悠輔さん18歳、弟の修造さん14歳のとき。
『新しい人生を・・・』と言い残して突然消えたそうです。なんて自由な!
前兆として、仕事にいかなくなった(鬱っぽくなっていた)時期もあり『ヤバそうだな』と感じていたら、帰ってこなくなったのだそう。
捜索すると『マンスリーマンション』にいることが発覚。3人で乗り込むと、なんと逆切れ!
「お前なんでこんなところに来てるんだバカヤロー!帰れ!」
と、追い出され母親は号泣。当然のことながら、母親は精神的に参ってしまったそう。
現在も失踪したままですが『探さないでおこう』という見解の成田悠輔さんと修造さん。
なかなか壮絶ですが、不運はまだまだ続きます。
母親が倒れて自己破産
父親が失踪し、ローンが払えず家が自己破産。
さらに2年後に母親が『くも膜下出血』で倒れてしまい、意識不明で2〜3ヶ月入院。
3日間生死を彷徨いましたが、障がい者となります。悠輔さん20歳、弟の修造さん16歳のとき。
母親は『歩けない、記憶が弱くなる』という状況でしたが、障がい者雇用で仕事をし続けたのだそう。
弟・修造が家計をやりくり
当時、奨学金で高校に通っていた弟・修造さんが家事を担い、家計をやりくり。
部活のあとに八百屋へ行き『食費月3万でご飯を作っていた』のだそう!
ちなみに大学生だった悠輔さんは、家事を手伝ったり一切しなかったようですw。
そして23歳で母を置いてアメリカへ。
その後も弟の修造さんが母親と住んでいたので、安心して任せることが出来たのでしょう。
現在も家計を管理
そんなある日、母親が『銀行口座に2000円しかない』と言い出す事態に!!
銀行口座を預かり、いまも兄弟で折半してお金の管理をしているのだそう。
弟の修造さんは24歳で結婚していますが、現在も母親の家の近くに住んでいるという、とても優しい方ですね。
壮絶なのに『めっちゃ面白くないですかこの話し?笑い話だと思っている』と、修造さん。
壮絶な10代を過ごしているのに、1度もネガティブにならなかった理由は、自分の力を信じていて未来を悲観したことがないからなのだとか。
成田悠輔さんの家族も凄すぎました・・・。
PR事例|成田悠輔はギフテッド?
壮絶な環境のなか、道を切り開いていった成田悠輔さん兄弟。頭脳なのか、物事の捉え方が『普通ではなかった』と言えるでしょう。
ギフテッドとは?
『天才』と言われる成田悠輔さんですが、幼少期から極端な行動もあることから『ギフテッド』の可能性が高いようですね。
日本の教育政策は30年遅れているといいますが、1993年にアメリカの教育省はギフテッドを:
「同世代の子供と比較して、突出した知性と精神性を兼ね備えた子供」
と定義しています。
ギフテッドは、高度な知能能力、豊かな精神性(共感的理解、深い洞察力)の両方を、環境に依存することなく兼ね備えているひと。
成田悠輔さん自身も『多動的なところがあって、発達障害気味だった』と話していますが、睡眠障害は今も続いているのだとか。
成田悠輔さんが『教育政策の研究』をしていたのは『人と違う自分』に悩んだ経験があるからなのかもしれませんね。
PR成田悠輔の意識の変化
そんな成田悠輔さん、20代前半までは『常識的な意識はあった』といいます。
- 起きて行かなきゃならないのに、起きられない。
- 道で寝てると、警官に声をかけられたりする。
ちょっと特殊ですが、『大丈夫ですか?』と声を掛けられると『自分大丈夫なのかな、と思ったりしていた』のだそう。
30代になり、仙人のように悟りを開きつつある成田悠輔さん。
人と違うことに『悩む必要はない、社会から逸脱しても、逸脱したひとに価値がある』と言い切ります。
お手本を見つけて近づこうとするより『自分は違う存在なんだ』と欲望に抗って、自分の個性を見つめ続けることが大事だとコメント。
個性を表現する方法を考えて、伝えること。個性を突き詰めると『変な人』になれる。
日本の『右向け右』だった学校教育も、ようやく変化しはじめています。
成田悠輔さんは逆に『抑圧や思い込みを押し付けてくる環境』があると、それに対して色々考えるきっかけになるとも語ります。
成田悠輔さんの発言や研究は確かで、多くのひとに影響を与えています。
炎上することもありますが、決して傲慢ではなく、ときおりアーティストのよう。
これからも発言を楽しみにしています。